2022/05/23

Vol.13ステッチ幅のお話し

今回はステッチについてのお話しをしようと思います。

 

意外と皆さん気にしていないところだと思いますが私がモノ作りする際にはかなり悩む部分でもあります。

ステッチの種類により洋服はかなり表情を変えます。

まず糸の太さなんですが洋服では主に8番から50番の糸を使用します。数字が小さいほど糸は太くなります。

ワーク色のかなり強いモノは稀に6番を使用する事もあり、デザインモノなどでは意図的に極太の0番糸というタコ糸みたいに太い糸を使用する事もあります。ただしこの辺りの糸はかなり特殊な糸で使用出来るミシンも限られます。

 

EGOTRIPPINGでは主にワーク色の強いアイテムに6番、8番、20番、30番の糸を使用し綺麗めなアイテムには50番の糸を使用してます。

 

糸が太くなればなるほどワーク、アーミー系のカジュアルな雰囲気が増し、細くなればなるほど綺麗めな上品な雰囲気に仕上がります。

 

次にステッチについてですが主にコバステッチ、シングルステッチ、ダブルステッチがあります。コバステッチは生地と生地のハギ合わせた箇所のギリギリを縫ってあるステッチになります。シングルステッチは生地と生地のハギ合わせた箇所から少し距離をとった箇所を縫ってあるステッチで、その幅により3mmステッチ、5mmステッチなどと言い、デザインにより幅を変えていきます。ダブルステッチは生地と生地のハギ合わせた箇所ギリギリとそこから距離をとった二本のステッチの事を言います。ダブルステッチもミシンの種類やデザインにより幅を変えていきます。

基本ステッチなし→コバステッチ→シングルステッチ→ダブルステッチの順に綺麗めからカジュアルな雰囲気な仕上がりに見えていきます。

持っている服を見て頂くと分かると思いますがフォーマルなスーツなどはほぼステッチが入ってません。軍物やワークウェアーなどにはダブルステッチのモノが多いと思います。

この様にステッチ一本とっても仕上がりの雰囲気はガラっと変わってきます。結構ステッチまで気にしないデザイナーも多いですが私がデザインする服では凄く気になる箇所の一つです。ステッチ幅だけで半日机でぼーっと考えてる事もあります。

今回こんなステッチの拘りについてお話しましたが一度お手持ちの服をこんな視点で見るとまた違った見え方するのかもしれませんね。

 

たかがステッチ、されどステッチです。

 

EGOTRIPPINGの服はステッチ一本まで気にして作ってんだぞ~というお話しでした。


質問、コメント、こんな話聞きたい、とかOFFICIAL LINEにメッセージ頂けると嬉しいです。
せっかくなので皆さんの声聞けたらと思います。
今後の参考にしたいです。


ではでは 

JUN

2022/05/09

Vol.12 EGOTRIPPINGデザイナーのファッション歴史年表 PART 2

さてさて前回からの続きでVOL.2といきたいと思います。

展示会からのゴールデンウィークという事で少し間が空いてしまいイレギュラーなスケジュールでの投稿となってしましました。皆さんゴールデンウイークはしっかり楽しめましたか?

私は色々やりたい事もありましたがなんだかんだバタバタして半分もこなせなかった感じです。

 

“モード学園期 前期”

では本題にいきますね。前回の“高校生 後期”に続き“モード学園期 前期”の話しをしていきます。このころはファッション専門学校に通い始めたという事もあり、ものすごく色々なファッション、ブランドに触れた時代でした。

よく通いつめたショップがありまして、雑居ビルの3階にある10坪くらいの小さな店にオカマの店長というかなり個性のあるショップでした。そこにはヨーロッパのインディーズブランド、古着、最先端のコレクションブランドがところ狭しと並んでました。店長はジョージさんといいましておおよそ身長160センチ、推定年齢当時で40歳前後?違ってたらごめんなさいジョージさん。とにかくメチャクチャオカマちゃんでメチャクチャおしゃれなおじさんでした。後々知ったのですが結婚されてたようなのでしっかりとキャラ作りしていたのかもしれません。もしそうだとしたらホント接客のプロですね。ファッションの最先端の情報、着こなしなどはものすごい知識と情報を持っていて、話しを聞いていても凄く勉強になり楽しく、すすめられた服はついつい買ってしまってました。

ファッション業界が元気な時代だったので色々なショップがあり学校帰りによくショップ巡りをしていました。

1年生の時の私には色々なものが新鮮に見えた時代だったので、アストアロボットで購入したロックテイストな服、ジョージさんのショップで買ったヨーロッパのインディーズものの服や色々なブランドの服をジャンル問わず色々目移りしながら着倒していました。私のファッションカオス時代です。その後ちょっとだけヨウジヤマモトやY’s,コムでギャルソンなど、昔でいう真っ黒ベースのカラス族というモード色の強い服を好んで着ていました。

こんな感じが昼のファッションだったんですが当時一緒に遊んでた友人が夜の街をフラついている時に知り合ったディスコの店員やホストばかりだった私は夜遊びに拍車がかかりマハラジャというディスコが最盛期だった事もあり、週の半分はディスコからの栄の街のストリートで朝までナンパという様な生活を送っていました。遊びに命かけてた時代でした()

夜のファッションはヴェルサーチ、ルナマティーノ、アーストンボラージュ、アルマーニなどの完全イタカジの夜遊びスタイルでした。当時ディスコに入る際、服装チェックが厳しくこんな格好していました。

前期は昼と夜全く違うファッションをしていた私でした。

 

“モード学園期 後期”

この時代になるとまず変わったのが夜遊びスタイルです。クラブというディスコをもう少しアンダーグラウンドにし音楽、ファッションスタイルもノンジャンルでオシャレな店が出来始め、私の主戦場もディスコからクラブに移り変わっていきました。これにより昼と夜の洋服の使い分けが必要なくなりました。ホント服買い過ぎで常に金欠の私には助かりました。

この時には主にジャンポールゴルチェを好んで着ていました。当時カリスマ的なデザイナーのゴルチェはデザイナーとして初めて憧れたデザイナーでした。とにかくデザインが斬新であっと言わせるデザインが毎シーズン私の心に突き刺さっていました。今でこそ名前を聞かなくなったゴルチェですが、なんとあのマルタンマルジェラの師匠なんです。マルジェラの師匠なんてゴルチェの偉大さを感じますね。

相変わらずジョージさんの店に通いつめてた私は、10坪そこそこしかない雑居ビルの中でドルチェ&ガッバーナと初めて出会います。当時まだどこにも置いてなかったドルチェ&ガッバーナがジョージさんの店に置いてあったんです。今思えばジョージさんのファッションセンスと先見の目はホント凄かったんだな~と思います。

特にドルチェ&ガッバーナのベストに惚れました。当時私達の間ではXラインのベストと呼んでました。ちなみに出始めのドルチェ&ガッバーナは今の様な夜っぽいセレブな雰囲気は全くなく最先端のオシャレさがありました。そのすぐ後くらいから大御所スタイリストの馬場さんなどが良く使うようになりテレビなどでもちょくちょく目にする様になりました。モックンが特に愛用にてたのを覚えてます。当時のモックンはメンズのファッションアイコンで大晦日の紅白で首からコンドームのネックレスを下げてお尻が見えてるパンツのセットアップで登場し話題になりました。その時の衣装がマサキマツシマという新進気鋭のデザイナーのものだったと記憶します。私もマサキマツシマの服を東京まで買いに行き、袖フリルのシャツにXシルエットのセットアップをよく着ていました。今思えば少し中性的なファッションが流行っていたような気がします。このくらいの時に武田真治、石田壱成の2大フェミ男が人気でフェミ男ブームだったと思います。今も若い子の間では韓国風な中性的男子が流行ってるので時代はまわってますね~私達の様な男子の時代はいつ戻てくるんでしょうか?()なにはともあれこの時はゴルチェをベースに常に新しいブランドを着ていた気がします。あっ、忘れてたクリストファーネメスも結構はまって着てましたね。

そしてまたまたしばらくしてジョージさんの店に行くと今度はなんとダークビッケンバーグが置いてあったんです。これもかなり衝撃を受けました。今まで見たことのない構築的なニットにちょっとメタル素材の付属が付いたクールなデザインにやられてしまいました。やっぱジョージさんスゲェっ~って感じでした。後にアントワープの三人衆と呼ばれるうちの2人のブランドを私が知る限りどこよりも早く取り扱ってました。あんな雑居ビルの10坪の店で。この時くらいから裏原系が出てきましたが私は全くはまりませんでした。話題性のあるブランド重視の洋服よりデザイン性、素材が優れた服に心惹かれたんだろうと思います。

次にはまったのはアントワープの三人衆の一人となるドリスバンノッテンでした。このブランドはダークビッケンバーグとは全く違ったニットを展開しておりダークビッケンバーグが無機質で構築的なのに対して、ドリスは何か懐かしく温かみがありながらも前衛的なデザインでした。この当時半分以上ニットばかり着ていました。モード学園末期はひたすらドリスバンノッテンにハマっていた時代でした。ちなみにこの時のヘアースタイルは今流行りのセンターパーツでした。

 

“就職サラリーマン期”

この時代は引き続き国内外色んなデザイナーが出てきた時期だったので色んなブランドを着ていました。東京デザイナーズブランドという言葉ができ、世界的に東京ブランドが注目されていた時代だと思います。

これと並行しヴィンテージデニムにドップリとはまり、ヴィンテージデニムにデザイナーブランドという様な着こなしを良くしていました。あっ、ハリウッドランチマーケットも良く着ていましたね。

この後くらいから空前のヴィンテージデニムブームとなり、とんでもない値段になっていき、ヴィンテージデニムを買い漁るのをやめました。

サラリーマン三年間はヴィンテージと色々なデザイナーズブランドを着まわしていた感じです。

 

この後独立し、CUSHMANを立ち上げその後、平行してEGOTRIPPINGを立ち上げました。

 

こうやって振り返ってもホントジャンル問わず、ありとあらゆるファッションを楽しんできたと思います。

 

たまにEGOTRIPPINGってジャンルレスですね?と言われる事があります。今の時代どちかというと狭いコンセプトの中で提案していくのが流行りの時代です。逆にそうでないと売れない時代です。ジャンルレスですね?って言われるEGOTRIPPINGは時代に逆行してるのでは?と思いますよね?

 

いやいや違います。

EGOTRIPPINGはさまざまジャンル、さまざまな国、さまざまなデザイナーの服を着倒してきた私が、私が着たい服、私が着て欲しいと思う理想の男性に向ける服、を私の経てきた経験と知識をフル活用して徹底的にこだわって自分勝手に作っている、メチャクチャ狭いコンセプトの服”なんです。

 

こんな感じでなが~い“EGOTRIPPINGデザイナーのファッション歴史年表”をしめさせてもらいますね。

 

今回長かった~後半少しはし折っちゃいました。

昔話なので時系列おかしい部分ありますがご了承下さい。


質問、コメント、こんな話聞きたい、とかOFFICIAL LINEにメッセージ頂けると嬉しいです。
せっかくなので皆さんの声聞けたらと思います。
今後の参考にしたいです。

 

ではでは

 

 

JUN